【トレード物語29】“フライング発表”でひと騒動が起こった広島・高橋慶彦らのトレード【1989年】
近年は少なくなってきたが、プロ野球の長い歴史の中でアッと驚くようなトレードが何度も行われてきた。選手の野球人生を劇的に変えたトレード。週刊ベースボールONLINEで過去の衝撃のトレードを振り返っていく。ロッテ側は「結論は出ていない」
[1989年オフ]広島・高橋慶彦、白武佳久、杉本征使⇔ロッテ・高沢秀昭、水上善雄ロッテ・金田正一監督がポツリと漏らした。「ロッテも昔とは変わったなあ……」1989年オフ、11年ぶりに現場復帰した指揮官の本音。前代未聞の“トレード・ミステリー”の渦中での、このひと言が騒動のすべてを物語っていた。あらためて騒動を振り返ってみると――。それは11月13日、マスコミも球界関係者もがキツネにつままれた思いで始まった。この日正午過ぎ、秋季キャンプ地の宮崎・日南で広島が高橋慶彦内野手、白武佳久、杉本征使両投手と、ロッテの高沢秀昭外野手、水上善雄内野手との3対2トレードの成立発表として、マスコミに流した。しかし、もう一方の当事者・ロッテは沈黙を続けるだけ。普通、トレード発表といえば両球団同時発表が、球界の常識だ。そして、同日夕方にかけて、「事件」は、さらに意外な展開を見せていく。広島側が、成立を前提に3選手、山本監督のコメントを発表したのだ。高橋に至っては、リハビリ中の名古屋市内のホテルでの記者会見で、ロッテ移籍の心境を語ったほど。そして午後5時30分。ロッテ側は松井オーナー代行が記者会見。だが、その内容は「確かに広島からトレードの申し込みはあったが、こちらの結論は出ていない」という。“未成立”宣言だ。さらに、一方的発表の広島に抗議を申し入れ、謝罪を得たことまで明らかにした。
・高橋慶彦のときは、逆に知名度高いスターがロッテに来て、また実力者の白武もとれたから悪くは感じなかったな。
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・慶彦はハジメちゃんと確執があったからなぁ。残念だった。あの辺りから暗黒時代になりましたよね
・慶彦さんもあの後阪神行ったり、
色々ありましたね。
中日ファンの自分にとっては、
手強い選手でしたけど。
・これは完全にロッテは広島のゴタゴタに巻き込まれただけ。高橋放出ありきの為のトレードで広島は相手は誰でも良かった。
・当時ロッテファンだったけど、落合のトレードは残念だった。三度の三冠王に1億出せないとは。一方で落合ファンとして、落合に全国区のスーパースターになってもらいたかったから、その意味ではワクワクしたなあ。
・高橋慶彦氏の時代にFA制度があれば、確実に名球会に入っていた。
・当時、高橋慶彦と正田の確執はプロ野球ファンなら誰でも知ってることだったからな。
・慶彦放出は悲しかったけど、高沢が来たのは嬉しかった。
あれ程活躍しないとはねえ・・・
大物外人との触れ込みだったヤングと共に補強大失敗、1990年は2位とはいえ読売に22ゲーム差もつけられた。
・高橋ヨシヒコさんは明らかに衰え気味。水上と高沢を出すほうが大損だったと思うが。
性格的にもカネやんの好きそうな選手だから、カネやんが全権与えられていても実現したトレードかもしれないが。
・後釜として当時スイッチヒッターで遊撃手だった野村謙二郎を指名した。
・選手としては白武しか活躍しなかったよなぁ
・トレード発表当時はロッテの大損だと思った。
高沢にしても水上にしても、落合が去った後の数少ないスター選手だったよ。
高沢は首位打者経験もあったし、水上は個性的な髪型でシブい働きをしていた。
彼らの代わりの代表格が、力の衰えた問題児(当時コーチをしていた三村と大ゲンカ)の高橋慶彦では、全然釣り合いが取れんぞ。
・懐かしいな、高橋慶彦。『夜の盗塁王』なんて呼ばれてたっけ。ロッテ移籍後はカネやんに「走れ、タカハシ!!」って煽られていっつも走ってたね。
・白武、高沢元のチームへ、慶彦、水上1年でトレード
なんか変なトレードだったなとおもたらそういう感じだったのね
・高橋慶彦さんは結局、全盛期のような活躍は出来ませんでしたが、しかしこの時のオリオンズとの繋がりが後に活きてマリーンズにコーチで再入団。西岡剛を一人前に育ててくれました。白武さんも、予想以上の活躍。小池秀朗騒動の際の「ロッテはそんなに嫌なチームではないよ」というコメントが嬉しく、印象に残っています。
→夜の盗塁王と呼ばれた高橋慶彦だから、どれだけ夜遊びしても決まった練習だけは毎日させる指導法が西岡には合ったんだろうな
・懐かしいですね。今は、カープのスカウト部長をされていて、先日中村捕手と、入団会見で同席されてました。
・タクシーのなかで、トレードを聴きました。野村選手が台頭していたし、嫌われたからでも、コーチで帰って西岡選手を育て上げたからいいと思います。今でも好きです
・ほんとトレードが少ない日本プロ野球。
・金やんと慶彦って上手くいってたの?
・全権云々の鬱憤が小池独断指名に繋がってるんだろうな
実際それが球団との溝の決定打になってオフにはカネやんはチームを去ってる
誰も幸せになってないのが悲しい
・北別府サンと不仲で、殴り合いになったことがある…と聞いたことがある。
球団が勝ち頭の北別府サンを選び、慶彦サンを放出した…とのことだが
・白武!良い投手だったな〜懐かしい
→今は、カープのスカウト部長をされています。カーブ、スライダーが持ち味だったな。
→佐々岡現二軍投手コーチの前の背番号「18」番でしたね。
・カープファンの一人としてコメントします。1987年の開幕前にフロントとトラブルになり、1987年のオフに西武の田辺選手とトレード寸前まで行ったが、結局成立せず。1988年のオフにこのトレードが成立しました。高橋慶彦は、1987年から、打順が1番から3番を打つ事が多くなり、打撃が下降していったと記憶しています。【あるシーズンで22本塁打を打った事があるはず】
カープファンの一人として、いずれにしても、トレードに出されると思っていましたが、このような大型トレードになるとは思っていませんでした。正直言って、他のカープファンに怒られるの覚悟で書きますが、前年のパリーグ首位打者がカープに来るという事で、このトレードを喜んでいました。当時、広島市内ではトレード反対の署名運動が起きたり、結構すったもんだしたと記憶しています。最後に、慶彦さんにお詫びするとともに今もカープを愛してくれる慶彦さんに感謝です。
→西武が獲っていれば、あの清原をキチッと教育できていただろう。
→確かに1987年の開幕前夜に地元マスコミ主催の激励会を「わざわざ開幕前夜に・・・」というコトでボイコットした辺りからフロントと関係が悪化し、でしたモノね。本人も話してましたが、この年だか翌年のオフに当時西武の管理部長の根本がこのヨシヒコ氏が西武線沿線出身だったコトもあり西武へのトレードを。高橋慶彦プラス若手投手で田辺プラスベテラン投手、という話があったようで。
ただこの話もこの投手を誰にするかで折り合いがつかなかったとか。それでロッテと、でしたから。ただロッテやオリックスのコーチ時代に交流戦で広島に来た時もサインを求めてくる広島のファンも絶えなかったとかでいまだに人気があるようで。
・慶彦がクビになったのは89年のオフだよ。
球団と仲が悪かったけど88年までは調和を大事にする阿南監督が庇ってたけど、89年から就任した新監督は「俺だけが広島の宝」主義で似た者同士の慶彦を庇うはずもなく放出に同意したって話だった。
1987年のシーズン開幕前に発生した郵便貯金ホール事件(「カープ激励の夕べ」ボイコット事件)以来、高橋慶彦の放出は時間の問題だった1988年のドラフト1位で駒沢大学の野村謙二郎を獲得、1989年のシーズンで野村が1軍で通用することが分かり、高橋はトレードが決まった
・有力選手はFA権やポスティング含めたメジャー移籍も増えたから、大型トレードが減ったけど、昔のトレードには夢があるなとこのシリーズを読んでて思います。
最近のトレードは戦力になればいいなくらいのレベルが多いですしね。。
・FAがあるために、最近大型トレードがなくなったね
それはそれでオフシーズンが話題がなくてさみしいわな
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コメント
コメント一覧 (10)
そんなに全方位敵に回してたんやなあ
達川の慶彦嫌いな理由が、練習ばっかりして嫌味な奴だったと。全く練習しない達川の嫉妬。インタヴューで読んだような記憶。
長内やマメのトレードも田淵がうっかり漏らしちゃったし
Aクラスは維持して優勝もしてんだから。
あの時期って、ポスト浩二・衣笠をずっと探してる状態で、
投手だけでかろうじてAクラスを保ってたんだよね。
いろいろトレードを画策したんだけど、すべて失敗。
放出:高橋、長嶋、長内、金石、白武、清川
幸運にも野村前田江藤金本緒方が出てきて
野手がそろッ太と思ったら、
今度はドラフトに失敗しまくって投手陣がボロボロっていう。
90年代は、楽しくも悲しい時期だったな。
起用法レベルで違いはあっても確執となると元の球団との関係もあるのかそこまで喧嘩別れっていうのは少ない
あと、日本はトレード少ないってあるけど選手と球団との関係性や雇用問題とリンクしとるからね。
アメリカ並みにその時々の人間の力を評価されて雇用される状況にならないと
(選手としては話にならなくてもコーチ・監督としては名伯楽になる要素)
語る連中もドラフトでいちいち○○大との関係修復とかゴミみたいな事語ってんじゃないと
引退後も二宮某とつるんで球団とかやらかしたし、二度とカープOBヅラしないで欲しいわ。
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