カープ史上最高の左腕である大野豊氏の背番号『24』を受け継いだのが河内貴哉です。187cmの身体から140キロ台の速球と大きなカーブを投げる本格派のサウスポーで、1999年秋のドラフト会議では“高校生の目玉”といえる存在でした。
特に同じセ・リーグの中日も河内獲得に本腰を入れていて、ドラフト直前には「彼の家族は『中日以外には行かせない』と言っている」という噂が流れた事もありました。しかしカープとしても高校側に挨拶を済ませており、「交渉権を獲得できれば彼は入団する」という感触を得ていたので、指名を回避する気は全くありませんでした。
我々がご家族の元に挨拶に行くと、お父さんが「拒否するという変な噂が出てしまって、ご迷惑をおかけしてすみませんでした」と私達に謝り、「カープへの入団を前向きに考えます」とおっしゃいました。私は河内本人ともこの時に初めて話をしたのですが、リトル時代から挨拶や言葉使いなどを教育されていたようで、とても礼儀正しい印象だったことを覚えています。
(全文はリンク先)
https://www.hiroshima-athlete.com/articles/-/3449
・90年代後半~2000年代中盤にかけての学徒動員の被害者の1人。
キレるスライダー、150キロを超えるストレート、9回を投げきるスタミナ…壊さず上手く育った河内を見たかった。
それでも晩年は軟投派としてワンポイントや同点、ビハインドで見事な活躍を見せてくれたのは嬉しかった。
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・とにかくスケール感抜群だった。大成ならなかったのは残念だね。中日に来てたらどうだったかな。まあ中日も中里を大成させられなかったからね。もし違う球団で1からやり直せたらなんてこと想像してしまう。そんな選手のほうが圧倒的に多いよプロ野球は。
・中里は大成させられなかった訳ではなく、まじで自分自身がやらかした怪我だから中日が才能を潰した訳ではない。
・中里に関してはお祓いレベルのケガが多すぎた。
・期待してたけど
山内や沢崎とエース格が不調だったのと黒田も覚醒前
横山もルーズショルダー
高卒1年目から無理して使わないとダメだった投手事情だったよね
1年目に身体作りしてたら怪我もなく大投手になってたかも?
・ワタクシは、河内の初勝利、球場で観戦していました☆
カープ投手の初勝利を球場で見たのは、現在2人。
もう1人は、旧市民球場ラストイヤーで、現在メジャーリーガーの前田健太。
マエケンの初勝利の瞬間、河内のことを思い出したが、こちらは大成してくれた
・河内氏は姿勢が謙虚でしたし、好きな選手でした
・最初オーバーハンドだったのをスリークォーター気味にフォームチェンジを繰り返し何とかもがいていましたが、結局使い物にならなかったなー。
・ストレートの伸びとキレだけは確かに素晴らしかった。
が、それ以上にコントロールが悪過ぎて…
・この時は悔しかったなぁ
絶対ドラゴンズだと信じてたからね、根拠は無かったけどね笑
カープでは1年目から1軍で投げてたんじゃなかったかな?
スラッとした長身で快速球に大きなカーブ、
今中2世になるんじゃないかって期待してましたな。
・クジを外した中日は朝倉を指名したんだよね。結果的には朝倉の方が活躍した。
・河内貴哉選手の中日の外れ1位は朝倉健太選手か。
朝倉健太選手は中日の地元となる岐阜出身で東邦高等学校なので地元枠というかなんというか、同じ2015年までプロ生活をして、16勝と65勝の差はあるが、広島と中日のそれぞれの球団で良かったのではないか。
・16勝は、当初の期待からすると不足かもしれないが、なかなか立派だよね。
・たまたま、東京予選決勝をTVで見ていて、負けてしまったが、いい投手だなぁと思った。カープファンの私は、こんな子がカープに入ってくれたらなぁと思っていたら、その年に入団となりめちゃくちゃ嬉しくなったのを覚えている
いわゆる未完の大器として終わってしまった
・河内と苫米地の「うっちーべっちー」コンビ、懐かしい。
ともに投手としては大成しなかったけど、今は「広報」「トレーナー」としてカープを支えている。
・ドラ1サウスポーは大成しない説がありますが、彼なりに、カープで現役生活を終えてくれたことが嬉しい。
・カープで高卒ドラ1期待の大物投手といえば、東亜学園の川島と久我山の河内でしたね。
二人ともファンは大いに期待しましたが。
・ドラフト直後に達川がカメラの前で大はしゃぎするなか、今は亡き星野さんが「良い球団に指名されて良かったね」と鷹揚な祝福をされたのが、なぜか今も記憶に残ってる。
・合同自主トレでカープ若手でサッカーして、さっそく怪我して前途多難だったな
・左腕で相当期待したんだけどなー
・和製ランディ・ジョンソンみたいになると思ってたな
・外れの朝倉いなかったら、ドラゴンズの2006の優勝はなかったね。
・マウンドでは無いけれど河内氏はカープの為に今も黙々と働いてくれています。ヒーローインタビューとかの前にいつも選手を呼んだり準備しているの知ってますよね。選手としては大成とまではいかなかったけどカープの家族として裏方で頑張ってくれてます。
ドラゴンズもドラフト1位指名した河内…カープの広報やっとるんだ。 pic.twitter.com/vubSdQKN8W
— ドラ馬 (@dragons_uma) July 6, 2016
※懐かしい河内貴哉のピッチング映像
【「かーぷぶーん」のYouTubeチャンネルを開設しました】
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コメント
コメント一覧 (12)
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体出来る前にフル回転はアカン。
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何回か二桁勝つシーズンがあったかもしれない
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大きく成長してほしかったなあ
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日テレ旧ズームインにて プロ野球入れ込み情報ってのがあって それに鯉担当は田坂るりさん(名前違っていたら 大変失礼)が ウッチーベッチーと紹介されていた。 まだ携帯普及前、 ワイからしたら 彼等2人は地元でそう期待されてるんだな と思った。 確か 苫米地は兎も角 山梨から3年連続指名した頃じゃないかい。 ちな ジジイ
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苫米地なんて完全に首脳陣に壊されただろ
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都・山本晶・今中・野口、現役だと小笠原
河内が中日に入っていたらどうなっていたか
見てみたかったね
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投球フォームを色々弄りすぎて修正不能⇒河内コース
体力づくりで1年間投げない間に平凡化⇒佐藤コース
高卒投手は大抵このどちらかでしたな。
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