広島から1位指名を受けた直後、斉藤は母・明美さんに「育ててくれてありがとう」と花束を贈った。女手一つで育ててくれた最愛の母。恩返しを誓った瞬間でもあった。
入学前に購入してもらったグラブを、3年間使い続けた。ひもが切れ、穴もあいた。明美さんは「『次は修理できない、買い替えた方がいい』と言われたんですが」と振り返ったほど。それでも、手入れをしながら大切に使った。一緒に夢をかなえた宝物だ。
小学4年のときに野球を始めた。当初はサッカーをやりたかったが、夜勤など介護職で忙しい母を見て、難しいとわかっていた。その時、友だちが誘ってくれたのが野球。送迎も世話してもらったおかげで、打ち込むことができた。
外野手を経て捕手に。投手を始めたのは、中学時代に合同チームで「投手がいなかったから」。それが分岐点になった。
その後、「自立したい」と寮が併設されている苫小牧中央へ進学。入学後から最も苦しかったのが“食トレ”だ。朝2杯、夜3杯のご飯を平らげ夜食でも3杯を流し込んだ。入学時に70キロだった体重は91キロに。努力で、パワーピッチャーとしての体をつくりあげた。
座右の銘は「習慣は第二の天性なり」。中学2年のときに漫画で知った。高校3年間、文武両道を自身に課し、どんなに練習が厳しくても毎日30分の勉強を欠かさなかった。成績は学年1位。得意科目は数学だ。
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https://www.daily.co.jp/baseball/carp/2022/12/26/0015919671.shtml
どんな育て方をしたら、こんなに立派になるのか。現在は189センチ、90キロの恵まれた体格だが高校入学時の体重は70キロ前後。中学までは食が細く、弟翔太君(苫小牧中央1年)の方が大きな丼で食べていたそうだ。明美さんは「優汰は中学まで朝はパン。食は細かったですけど無理に食べさせて嫌がられるのは良くない」と、たくさん食べるよう、強いたことはなかった。
高校の寮生活は毎食、ご飯を丼3杯食べるのがノルマ。パン食に慣れていた斉藤は苦しんだが、白米と「のりたま」のふりかけのセットが自分に合うと“発見”し「1年の冬には食べて体を大きくするのが楽しくなった」。明美さんは「高校でお米のおいしさに気付いたようです」と苦笑い。心配してもしすぎない。子ども自身の克服力を信じる、母の懐の深さを感じた。
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https://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/202212220000235.html
303: ぶーんと飛躍するななC⊂( ●▲●)⊃ 22/12/24(土) 19:38:55 ID:Zq.yp.L41
来年の二軍めっちゃ楽しみよな
2018年の小園達と同じくらいルーキーの活躍が楽しみやわ
内田君や清水君は勿論大卒外野ルーキーや斉藤君が見れる
2018年の小園達と同じくらいルーキーの活躍が楽しみやわ
内田君や清水君は勿論大卒外野ルーキーや斉藤君が見れる
https://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1671800798/
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