カープ江夏豊「よそ者だと思われても周りに媚を売らない」

トレードで「よそ者だと思われても」両リーグ2チームで3年連続リーグ優勝に貢献した左腕は【プロ野球はみだし録】

「優勝のために」の期待に応え

3年連続でリーグ優勝を経験する選手は少ない。それもトレードで移籍した2チームで3年連続となると、グッと数が限られてくる。南海(現在のソフトバンク)で野村克也が監督を解任、退団に追い込まれたことで移籍を志願した左腕の江夏豊は、そんな選手の1人だった。

最初の移籍は阪神から南海への大型トレードだった。阪神のエースとしてV9巨人に牙をむいていた江夏は、追われるように南海へ。新天地でリリーバーとして再生した江夏が広島へ金銭トレードで移籍することになったのは1977年のオフだった。

広島を率いていたのは、現役時代は南海で野村とチームメートとなったこともあった古葉竹識監督で、調整法を江夏に任せてくれたこともプラスに働く。

2度目の移籍となる江夏は「よそ者だと思われても周りに媚を売るようなことはしない。グラウンドで結果を出せば周りの人間が自然に判断して受け入れてくれる」と自分のペースを守り、それでも衣笠祥雄らチームメートとも意気投合していった。

(全文はリンク先)
https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20220118-12&rf=kmlp

・江夏さんは南海出る時、広島に全くいいイメージ無かったとか?

それが広島が初の日本一そして江夏さんがMVPになると、江夏さん来てくれたおかげで日本一になれたと喜んだ広島市民が、江夏さんの借家の門柱の上に、牛肉やら松茸やらお礼に置いていったそう。のどかないい時代だった。





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・江夏は昭和のヒーロー、それを描いたのが水島先生。
古葉監督、池谷公二郎、外木場義郎らを擁し、当時の広島カープは強者のイメージ。



→江夏さんがカープに来た時には、外木場さんはすでに全盛期じゃなかったけど、完全試合を含むノーヒットノーラン3回は、まさにカープの大エースの一人でした。
初日本一のシーズンを最後に引退してしまった。



・この写真の時は、江夏、31歳なんだよね。

今の選手にはない「風格」があった。あの風格はどこから出て来るんだろうか?
「出っ腹」じゃないと思うよ。おかわり君や、今30の山川には感じられないもの。

それと江夏って、フシギとどこのユニホームも違和感なくソコソコ似合うんだよね。野球人たる風格がそう見えさせるのか?






・江夏豊投手には「優勝請負人」という名がよく似合いますね、ただ惜しむらくは阪神時代に優勝できなかった事でしょうね!



・最近のYouTubeで 田淵さんとの対談を見ました

田淵さんはリップサービスもあり楽しくお話するのに対して 江夏さんは真面目に正確な記憶で話そうとする
寡黙でまわりとうまくやれない一匹狼というイメージがありましたが すごく真面目でまっすぐな人なのだなという印象になりました

その性格が優勝請負人とまで呼ばれる結果となったのだと思います



・なんで、83年オフに日ハムをやめる必要があったのかよくわからない。派閥を作るような選手ではないと思うので、年俸の問題とかがあったのかな。



→大沢監督が退任するにあたり次の監督に指名してた植村監督が
江夏がいるとやりにくいと判断して辞めさせたみたいですね

実際に植村監督は食事やオフにまで口を出す管理野球だったので
江夏とは合わなかったでしょう(西武で広岡監督とも合わなかったし)



→慕っていた大沢監督が退任し次の監督の構想から外れたのが原因みたいですね。行った先の西武では管理野球を推し進め食事まで口出しする広岡監督が通風なのを何気なく聞いたことで決定的に亀裂が入ったそうですね。阪神時代でも金田監督との亀裂が原因で南海に行き野村監督の野球観に感銘を受けたのちに一緒に退団しているので人間関係に翻弄されたイメージですね。



・最後の球団が西武じゃなくて、パリーグならば近鉄か阪急、セリーグならば巨人か阪神以外の球団であれば、200勝200セーブを達成していたかもしれないな。

でも、大エース投手だと思います。



・シーズン奪三振のタイ記録と新記録を狙って王さんから取ったのすごい。



・最後が広岡の元でなければ200勝200セーブになっていたと思う
メジャーに挑戦も若い頃なら通用したと感じた



→あと、通算2987奪三振で引退されてるんですよね。3000奪三振まであと13…これも惜しかった。



・日ハムのあとにブリュワーズの3Aに入りそうなこともあった



・意外にも12球団勝利はできなかったんだよね。



・最近、こういう選手居ないよな
背中を魅せて黙らせる

コレが本当の侍だよ



・カープファンです。昭和55年のシーズン後に江夏が日ハムにトレードのニュースが流れて広島の街は異様な雰囲気でした。江夏は多少自己顕示欲が強く、優勝できたねは俺の力だ、みたいなことを言ったかもしれないが、あのタイミングでトレードで放出というのはいかがなものかと思った。

見返りで来た高橋直樹はセリーグの水に合わずほとんど活躍しないしで昭和56年シーズンはフラストレーションがたまった。

まあ長い目で見ると、江夏が長くカープにいたら大野豊の成長はなかったかもしれないのて、その後昭和59年、61年、平成3年でカープが優勝したことを考えると損得はなんとも言えないが?

ただやはり江夏をトレードに出した理由が今でも気になるな。それほど高橋直樹を高く買っていたのか?抑えは大野でメドが立つと考えたのか?






→高橋直樹も加藤英司もセリーグが合わなかったんでしょう。



→高橋直も西武に移籍すると復活するという・・・・



・前からずっと思ってたが、あの成績で江夏が日ハムを辞めた意味が本当に分からない。新井や加藤英司もそうだったけど、当時は得があるとは思えない理解出来ないトレードがときどきあった。

どうせ出すなら西武じゃなくて近鉄や阪急に出して欲しかったな。



→夏場には植村投手コーチの次期監督昇格が決まっていて、江夏さんとソレイタさんの構想外が本人達にも知れ渡っていた。
近鉄は岡本伊三美監督がトレードに動くも最終的に纏まらなかった様で。

当時は抑えで鈴木康二朗さんが居たので、もし移籍が決まれば江夏さんを先発に復帰させる予定だったとの話。



→大沢監督の後任監督が江夏を構想外にしたのが原因らしいですが、西武に入ったのは西武の代表が巨人に獲られるのは困るとして引き入れたようです。



・先発完投が投手のプライドだった時代。
野村さんと相談し、リリーフに転向したのは並大抵の気持ちではなかったはず。

先発として数々の大記録を打ち立てていた投手では尚更のこと。
野球人生をこれからも充実したものにするための決断だったのだろう。

優勝請負人として、リリーフの切り札としても素晴らしい実績を残せたのも、稀有の天才と言われるゆえん。
大リーグに行ったのも、野球人生を諦めたくなかったからか。

自分の信念やポリシーを貫くあまり、周りとの軋轢も有ったようだが、それも彼が自分の個性を大事にしたから。
記録と記憶に残る素晴らしい投手だったと思う。



・9者連続三振も凄いけど延長戦ノーノーで自身がサヨナラホームランというのも凄すぎた。

ただ人間関係の好き嫌いがはっきりした部分で監督とそりが合わずに退団したり、又慕っていた監督と共に退団したりと球団を渡り歩いた野球人生だった印象があります。

時代が時代ならばメジャーでも活躍していたかも知れない一人だと思う。



・一人の選手が入団したからといって簡単に優勝出来るものではないけれど、それを現実にしてしまう。

まさに優勝請負人。

延長戦を投げ抜いて自らのサヨナラホームランで決めた無安打無得点試合。
オールスターでも9者連続三振。
漫画の主人公のような大活躍。

その凄まじいピッチングをリアルタイムで見てみたかった。。。



・公式記録としては通算206勝193セーブですが、セーブが公式記録になる前に40セーブ以上挙げており引き分けで完了した試合も76試合あるのですからとてつもない数字だと思います。(セーブも今のクローザーのように1イニング限定ではなくピンチになると7回くらいから出ていました。)

現役時代は寡黙で孤高のイメージを持っていましたが先日の石橋貴明さんのラジオやYouTubeなどではおしゃべり好きなキャラクターになっているのがまた面白いです。
 












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