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■イベント開催の経緯
瀬戸内食堂の本店に正田耕三がプライベートで来店し、店長が子供時代から正田のファンであったことからトークショーが実現。(今回のイベントは新しくできた2号店で開催)
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■イベント詳細
●日時2018年1月20日(土) 14:00~17:00
●場所CARP鯉酒場 瀬戸内食堂〒108-0074 東京都港区高輪2-16-38 1階
●アクセス
京急本線 泉岳寺駅 A2番出口 徒歩2分
都営浅草線 泉岳寺駅 A2番出口 徒歩2分
JR 品川駅 徒歩10分
都営三田線 三田駅 徒歩10分
JR 田町駅 徒歩10分
●イベント内容
正田耕三とフランクに飲めるトークショー
※3時間飲み放題おつまみ付き
※握手、サイン、撮影OK
●料金【前売】5500円【当日】6000円
●問い合わせ先
☎050-3491-7971
■正田耕三のプロフィール
・正田 耕三(しょうだ こうぞう、1962年1月2日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者、野球解説者。
■選手としての特徴
社会人時代は金属バットを使っていたため、左脇が開く癖があった。プロ1年目でスイッチヒッターの練習を始めた際、カープには高橋慶彦や山崎隆造など既に両打ち転向に成功した選手がいたが、正田はコーチの内田順三から「真似が通用するほどプロは甘くないので自分のスタイルを樹立しろ」と助言を受け、これに従った。また、内田の指示で1,200グラムもある重いすりこぎ型のバットを使い、最短距離でバットをボールにぶつけるスイングを身に付けた。右打席でも練習を重ね、同様のスイングを身につけた。若い頃から俊足を活かすゴロ打ちのスイングを磨いたことを豊田泰光から高く評価された。右打席のみだった1993年はケガもあって打率が.257と低く、正田自身は両打ちに転向しなければその程度が限界だったかも、と語っている。左打席では一塁までの距離が2歩は短くなったといい、初めて首位打者となった1987年には33本の内野安打を記録した。またそのうちバントヒットは15本に上り、バントの際のタイミングとポイントの良さが周囲に評価された。セーフティーバントを意識させることで相手守備が浅くなり、ヒットゾーンが広がる効果もあった。
■「練習の鬼」正田耕三
高橋慶彦とともに、チームの中でも屈指の猛練習を積み、1987年のキャンプでは高橋が2万本の素振りを行えば正田は4万本をこなした。
また、シーズン中も広島でのナイトゲーム終了後には西区三篠町の合宿所練習場、または大野町の屋内練習所のいずれかでピッチングマシン相手の打撃練習を毎日深夜に行なっていた。1988年の湯布院での自主トレ終了後には、200折の温泉饅頭を持ってそれぞれの練習場の近所の家を回って騒音を詫びた。1988年のオールスターゲーム出場が決まった際にはその間の練習時間が減ることを心配するほどで、一時はコーチから練習を止められることもあった。首位打者を獲得してからも左打ちを磨くためビジターでも午前中に打ち込んでから球場入りし、ホームではさらに球場での早出特打を行っていた。素質を補うために練習を重ね、現役晩年の1996年でも球界屈指の練習量だった金本知憲や緒方に負けない数のスイングをこなした。
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コメント
コメント一覧 (14)
詳細が聞けるなら行ってみたい
予定入れてもた…
行きたい…(涙)
経歴にあるようなイメージが全然ない
例えるなら最近ファンになった人が今の梵を見るような感覚かの
東京でやるのかよ
ヒットを100本以上打ってまだレギュラーの扱いだったのに
引退させられた
調べたら、自分から若手に譲るって事で引退を申し込んでた
本塁打0で首位打者になったのはよく覚えてる
でも慶彦ファンな自分が行ってもいいんだろうかと悩む。。。
守備位置の連携は無しだったのかな
小柄だと思ってたけど近づいたら二の腕とかぶっとくてプロは違うわと思った思い出
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