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「殺されそうな練習でも、ただただありがたかった」江藤智とカープの記憶

 23年ぶりにマツダスタジアムに姿を現した背番号33が打席に入ると一際大きな歓声が上がった。現役時代と変わらないゆったりとした構えから放たれた打球は綺麗な放物線を描き、レフトスタンドの遥か前にぽとりと落ちた。


-レジェンドゲームはお断りするつもりでいたんです

「最初は今回のレジェンドゲームはお断りするつもりでいたんです。FAで出ていった自分が出場する資格はないって。でも周りの友人にぜひ出るべきだと強く勧められたり、同じFAで広島を出た金本さんも参加すると聞いてぎりぎりで参加させてもらうと決めました」


-殺されるのが嫌じゃなかった

「4番を任されてはいましたがあくまで4番目の打順の選手というだけ。とにかく当時は必死でしたね。前田のような天才と違い僕は努力するしかなかった。体が丈夫なことと前向きなことだけが取り柄でしたから。どんな殺されそうな練習でも、ただただありがたかった。殺されるのが嫌じゃなかったというのが良かったのかもしれませんね(笑)」

「カープのことは広島を離れてからも気になってはいました。33番を同郷の菊池(涼介)くんが『江藤さんの番号だから着けている』と聞きましたがとても嬉しいですね。カープも今年は十分チャンスがあるチーム状態。一カープファンとして楽しみにしています。特に佐々岡さんには現役中とてもお世話になったので、佐々岡さんを是非とも胴上げしてほしいです」

(全文はリンク先)


・効率的な練習は近年よく提唱されるし、野球は精神論が根強いだけに大事な事だと思う。ただ、胃から汗流す練習で江藤、金本、緒方、野村、前田らが生まれたのも事実。

現役選手も、なんでも効率で片付けず、やるべき時は先達を見習ってハードに取り組んでほしい。




・「殺されそう(よりも絶対楽)な練習」をさせられようとしたら「体罰だ、暴言だ」
と言ってはね除ける今時の軟弱な子供たちとは違うなぁ

努力した人が結果が出ないとおかしいしね





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・金本や緒方は江藤は練習中、練習後によく泣いてた。っと言ってますね。

ほんとに殺されるくらいハードだったんだろうな。あの時代の野球の練習は。
ましてやカープだがらな。笑




・江藤も新井もカープでなければ1軍半で終わってた選手だと思う。

カープじゃなければというか、水谷さんや浩二さんみたいな目利きと大下軍曹がいたからこそという要素も大きいと思う。

2人とも守備もアレで本当に打つしかない選手だったが、相当ガマンして使って四番に育てたよなぁ。



・宮崎にいる時は日南までキャンプ見に行っていました。

今でも記憶にあるのがいつも居残りで前田と江藤ら並んで室内練習場でティバッテングを遅くまで一生懸命競い合うように練習していたことを思い出しました。

江藤も前田も天才と言われたけど、練習の賜物です






・江藤の構えもフォロースルーも打球の描く放物線も、全て独特の美しさがあって大好きだった。アンチ巨人のカープファンだけど、江藤だけは心の中でずっと応援してた。今回やっと戻って来てくれたような感じがしてすごく嬉しいです。



・カープを出る直前の年でしたか市民球場のサードの守備でイレギュラーバウンドが眼付近に直撃!!しばらく傷跡が生々しい姿でした!

胃から汗が出るとも言われて鍛え上げられた守備!!江藤さん本当にレジェンドですね!
あの頃打者は江藤、前田、野村、金本、緒方といたのに何故優勝できなかったかな(>_<)まあカープの歴史に刻まれている一人ですね



・野村、正田、前田、江藤、ロペス、金本、緒方の時代本当に好きだった。
弱かったんだけども

今思うと、なんで黄金期到しなかったんだろなぁ笑




・3番センター 前田
 4番サード  江藤
 5番レフト  金本

のクリーンアップがたまらなかったっす!!



・三連覇した時の打線も良かったのですが、1990年代中盤からの強力打線は凄まじかった。

足もある、長打力は言うまでもない。繋がれば、二死からでもビッグイニング。

投手力が良ければ、優勝はできた。



・江藤、前田、緒方、金本、野村、西山、そして浅井、町田。

自分は金本のサイクルヒット記念シャツ、女房は佐々岡のノーヒットノーランの記念シャツ、息子3人は子供用のTシャツを着て横浜スタジアムによく行きました。

優勝は出来ず暗黒時代という人もいますが、私達家族には楽しい時間でした。その息子たちも成人になり当然カープファンです。



・自分は、福山で、打ってくれた満塁ホームランをよく覚えています。対横浜戦だった。
これぞ、4番 4番の鏡のような一発でした。

打球をとらえたときの音が、ちがってましたよ。



・昔カラーコピーの宣伝が、オールスターの時期に新聞に載っていた。

内容は、セパそれぞれの打者が1名だけ、打席で構えたスタイル。
シルエットはグレーで、誰かはわからないが、ヘルメットがカラーだった。
パ・リーグは西武のヘルメット、そしてセ・リーグはカープのヘルメット。

もちろん構えだけでも判った、パは清原、セは江藤だと。
リーグを代表するバッターとして認知されたと思うと、本当に嬉しかった。




・やっぱり出場迷われてたんですね
巨人に移籍してカープと対戦した時、広島投手陣の内角攻めでスポーツ紙に「広島許さん」みたいな記事が紹介され、めちゃくちゃ悲しかったの覚えてます

まさかまた広島カープのユニフォーム姿が見れるとは…
あの打撃フォームといい、色んな想いが込み上げて感動しました。



・好きな数字は33、草野球やってた時の背番号も33、ゲームやアプリのニックネームにも33入れてしまう。
キクではなく江藤さんの33です。



・私も子供の頃から野球やっていて江藤さんの打席に入ってからのバットの動きや腰の動き等を真似していました!

小学生の頃はいつもカープの帽子被っていてバッティングセンターで「あの人江藤に動き似てる!」って言われるのが結構嬉しかったです♪

因みに愛知県にずっと住んでいて当時は今ほど愛知県にカープファンが居なかったので尚更よく声かけられました!





・広島出身の私にとって江藤さんは初めてのヒーローでした!

今となってはカープの33は名手菊池選手ですが、江藤さんの姿も忘れられません。
小学生の頃は33のTシャツを着て遊び回ったことを思い出します。

先日のレジェンドゲームに江藤さん金本さんも出場している姿を観て感銘を受けました。


・元々はFAでベイスターズに移籍する予定だったんだよな

色々あって破断になって、巨人に移籍した

どうしても巨人って訳ではなかった

江藤は幼い頃は西武ファンだったようだし、巨人から西武に移籍したときの方が嬉しかったんじゃないかな?



・FAでカープを出ていかれる時本当に残念だった
怒りとかでなく悲しみだった
嫌いなチームのユニフォームを着てホームランを打つ姿を見る度悔しさも当然芽生えた

年月は経ち先日のレジェンドゲームで背番号33の姿を見た時はテレビ前でしたが思わず拍手してしまいました
前田さんと肩組んで歩いてる姿見てなんとも言えない幸福感がありました



・カープからトレードで出される場合もあるし、それはお互いさまのところもあるでしょう。

もう敵のチームに所属しているわけでもないし、平気な顔で、いつでも、広島に来てください。

今回、いちばん楽しそうにプレイしていたのは、江藤だと思う。カープファンもそれを見て楽しかったよ。



・個人的にはFAでカープから出ていかれるのがどうも我慢できない。最初は川口の巨人に本当に腹が立った。そして江藤…最近では大竹、丸となんで巨人なのよと。(理由はいろいろあろうが)

しかしあの日はみなさんひとりの野球少年に戻ったかのように楽しそうにプレーをされていた。ファンも様々な感情や感傷を振り返りながら楽しませてもらった。参加してもらえて、参加してよかったと思ってもらって何よりです。

「33」のユニフォーム、とても懐かしかったですね。



・FAで出ていかれてから長らく、消化しきれないものが残っていた

そういう気持ちが解れたのは、黒田が大金オファーを蹴ってカープに帰ってきてくれたこと、新井がプライドを捨てて覚悟の上でカープに帰ってきたこと、そして3連覇したこと、それらを見て、カープという球団の価値を確認できたからかもしれない

レジェンドゲームで江藤を見られて本当に良かった
「カープの選手で良かった」「今でもカープが気になる」と言ってくれたらそれだけでもう十分嬉しいし、すべてが腑に落ちる



・当時は今以上にFAに対しての風当たりが強かったし、広島が育てた選手なのにって思うファンが多かったんだろうけど、冷静に考えて関東出身の選手だし、在京球団に入りたいと思うのは自然な流れだと思う。

やっぱ江藤選手カッコ良かったよな〜あの構え方がとても好きで真似してた。
コメント聞いても良い人感満載でこっちまで嬉しくなりました。



・江藤は、シーズン終盤で虫垂炎で離脱した年の契約更改で、自ら、100万円の返還を申し入れたとの記事を読んだとき、FAで出ていくなんて思いもよらなかった。

巨人ではもちろん、応援する気にはならなかったが西武に行ってからは、気になってはいました。性格いいんだろうなー。




・江藤選手の大ファンでした。背番号33ETOHユニまだ大切に持ってます。サードゴロの怪我の時は本当に心配しました。39本の時の、天井直撃幻のホームランも凄く残念で、私も悔しかったです。

巨人に行かれ、とても悲しかったですが、江藤選手だけはずっと応援していました。またカープか、プロ野球でコーチとかして頂けたら嬉しいです。ずっと江藤選手の思い出を大切にしていきます。



・当時市民球場で警備のバイトをしていて、江藤が広島を出て巨人に移籍した年に、まさかの巨人が広島市民球場で優勝する可能性が出てきて、巨人が優勝した際の段取りに「江藤警備」というポジションもあった(結局東京ドームで優勝したはず)。

酷いヤジもあったものの、人的補償で西武に移籍し、晩年の交流戦では代打で出てきたら球場から大きな拍手で胸が熱くなった思い出。



・『いちカープファンとして、とても楽しみにしています』

この言葉が江藤の口から出たという事実だけで、涙が出るくらい嬉しい。
20年以上も前にカープを出た事実は消えないけれど、今でもカープのことを気にかけてくれている。それだけでも泣かせてくれるじゃないか。

川口和久のFAについては、東京出身の義父が危篤だったから看病するために関東のチームに移ってほしいと奥さんが所望したという、仕方ない理由があった。
江藤も東京出身だから長嶋さんや強いジャイアンツへの憧れや、地元に帰りたい気持ちが湧くのは道理ではある。

当時は今以上にFA移籍に対して裏切り者感が強かったから、もし江藤が今現役の中堅選手であれば移籍しても当時ほど恨まれることも無かっただろうね。
とにもかくにも、江藤ありがとう!




※レジェンドゲームでの江藤の守備




※レジェンドゲームでの江藤と前田






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