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 強いカープを好きになった皆さん、ここです、応援するタイミング。

 東京ドーム観戦時、うしろのおじさまが何年かぶりの観戦だとかで「へえー、カープファン多いなあー」と赤さに驚いていた。同行のおじさまが「何年か前に増えたんだよ、ほら、えーとなんだっけ、そうそう『カープレディー』ての?」

「カープ女子」遠くなりにけり。また新しく始めるいい機会ではないか。

 弱いを知ってる同志よ、だからこその応援を知ってる皆さん。応援のし甲斐があるじゃないですか。泣かないで。

 CS行きたいなあーー! のぅやー。

(全文はリンク先)
https://bunshun.jp/articles/-/57475


・広島に越して来た年が91年。
岡山住みで親が(広島の人間なのになぜか)阪神ファンで、その影響で阪神ファンでしたが、ここで当たり前のようにくら替えしました。
あの当時の投手陣野手陣のなんと魅力的だったことか!また絶対優勝できる!と……二年経ち、五年経ち、それ以降は暗黒をある意味自虐で楽しみまさか25年かかるとは思わなかった……w





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・僕は75年からカープ一筋です。
カープが初優勝した年の4月、小学校に上がると制服・制帽があるのに何故かみんな登校時と下校時には赤い帽子。僕も親に言ってカープ帽を買ってもらいそこからカープのフアン。市民球場にもよく行ったなぁ。




・75年、10歳でした。初優勝後赤い野球帽を買ってもらったなぁ。夏でも蒸れない半分メッシュのやつ!




・昭和50年小学4年生の時赤ヘル旋風でにわかカープファンに、だから歴だけは長い。昔はベンチの上で応援していたけど、なかなか内野席が取れずにそこで応援している人が羨ましかった。










・生まれた時から四国に住んでいるので、周りは巨人ファンか阪神ファンの人が殆どでしたね。
私の兄も大の巨人ファンで、学生の頃テレビで巨人戦を一緒に見ていましたが、カープとの試合で高橋慶彦さんのそのカッコよさに一瞬で引き付けられました。
それからは、高橋慶彦さんを見たさにカープ戦を観戦して、自然とカープを応援するようになりましたね。




・1991年の日本一を逃した年からですね。
用意されていた日本一を祝うくす玉がかなしく片付けられているのを見て、見ちゃれ、来年こそ勝つんじゃ!…と思ったのですが、そこから25年もかかると思わないでしょう?(笑)




・1986年の日シリからなのを良く覚えている。クラス(小学生)のみんなでテレビ観戦した時からかな。
クラスに熱血ライオンズファンがいてね…、反対のチームを応援したれと思ってからカープファン。その時は大野豊さんが先発だったような…。




・厳密に言うと、母の胎内にいるときからでしょうか。初優勝の瞬間、私は正に母のお腹の中にいて、テレビからの大歓声とカープの応援歌、そして母の嗚咽を聞いていました。その傍らには訳もわからず鯉のぼりを振っている兄の姿。見たこともないはずなのに、正座してテレビを見ている母と兄の後ろ姿が最初の思い出としてあります。 

小学校高学年にもなると、教室で男子に混じり前日のカープの試合談義をするコテコテのカープ女子に…。カープ女子って今ほど顕在化してなかっただけで、昔から沢山いましたよね。




・私は広島県人だが、初優勝が小学5年生の時、その年の夏まで野球は王、長嶋しか知らなかった。
夏を過ぎてからの広島の熱気、知らず知らずカープファンになった。
クラスでの話題はカープ一色、私も初めてカープ帽をかぶった。応援歌のシングルレコードはすべて買った。






・お爺さんの代から始まり、父が子供の頃に樽募金、私は生まれ持ってカープファン歴50年、マツダの樽募金した時は、こんなにファンが増えるとは想像して無かった。少ないファンから徐々に増えて、マツダの時は、奥様の集団、女子中高生の集団が増えてきた時は、変わったなぁ、やっぱり新球場のおかげだと思った。




・初めて広島カープを見たのは、近鉄との日本シリーズかな。たしか小学生。
福島県は巨人戦しか中継しなかったので、あの頃は深夜のプロ野球ニュースで結果を知る毎日でしたね。
高橋慶彦が顔は格好良いし、走攻守揃って大好きな選手でした。
本格的にカープファンになったのは、西田真二が4番を打ったぐらいかな。
トリオザしんじの応援歌とか、アレンアレン当たればホームランとかの時代は楽しかったね。









・私は、アラフォー。
生粋の広島人。
両親、祖父母も熱狂的なカープファン。
当然、お盆などの親戚の集まりも親戚一同広島人なので話題はカープの話ばかり。
そんな中で育った私は、山本浩二、衣笠祥雄が活躍していた真っ只中。
なので、25年ぶりの優勝は、嬉しかったね〜。




・野球というものを理解して見続けるようになったのは90年代半ばからだったな。あの頃はスカパーが始まったばかりでカープの試合見れる機会が少なくて、地上波やテレビ神奈川の横浜戦、たまにNHK-BS1でやる試合にかじりついて見てた。
ロペスが入って超強力打線になったのに「なんで勝てないの?」はずっと思ってた。先発陣も大野、山内、チェコ、紀藤の年や翌年の紀藤、加藤、山内、山崎とか、人数いるのに優勝までは届いてなかったのが不思議で。あの頃に勝てなかったから優勝経験しないまま引退した選手も数多くいたよな。




・1988年からのファンです。
当時は北別府、大野、川口の強力三本柱で巨人とも熾烈なペナントレースを繰り広げてました。
打線は3番慶彦、4番小早川の頃だったので、あまり打てませんでしたが、とにかく投手力で勝っていたイメージが強いです。
北関東群馬県のため、周りはほぼ巨人ファン一色の環境で、クラスに1人いるかいないかのカープファンは肩身が狭かったですが、中学2年から暗黒期でも変わらず応援してます。




・私のカープの始まりは3番ショート野村謙二郎から。
正田野村の二遊間、緒方前田金本に佐々岡北別府達川、いま考えてもめっちゃ豪華な布陣だなぁとしみじみ思います。
中でも打って良し守って良し走って良しの野村のプレーは子ども心に刺さりました。
赤い闘志燃やせ~赤い旋風巻き起こせ~ってね、球場の一体感が最高でした。




・広島に縁が無いもののそこそこのオールドファンである人の中は、山本・衣笠時代にファンになった人が少なく無いと思います。その時代のカープは魅力的で強かった。

その後に暗黒時代が訪れたので、その頃にファンになった人は「暗黒時代が当たり前」と思うのでしょう。

いつファンになったかが、今のカープの戦いに対する評価の違いに反映されている気がします。









・自分がファンになったのはマツダスタジアム元年,ブラウン最終年から。
本当に美しい総天然芝のマツダスタジアムに心が踊った。
ノムケンが監督になって初めてCSに出場し,緒方が引き継いで黒田や新井が帰ってきて3連覇と,右肩上がりでうれしい事が多かったかな。




・初優勝の年に生まれ、物心ついた頃からのカープファン。親が広島出身で当時は県外に住んでいたから初優勝のラジオ中継は雑音混じりをなんとか聞いていた…というのが笑い話。
 思えば、小学生の頃までは「強い」のが当たり前だったんですよねぇ。西武との日本シリーズ、視聴覚教室で先生が試合を見せてくれたのが懐かしい。




・三村監督時代からです。
走攻守揃った最強スタメンながら控えが手薄で先発も弱い。前田智徳が何月まで無事にプレイできるか毎年ドキドキしてましたね。
佐々岡は年によって先発だったり抑えだったり。だから今の迷采配でも責められない自分がいます。




意識しだしたのは200発打線となった頃だろうか、山本、衣笠、水沼、高橋、ライトル、ギャレット・・・(ちょっと間違ってるかも知れん(笑))




・昭和53年、ホームラン200発打線からです。(それまでは巨人)広島市民球場でトランペットマーチ、そして毎日のようにホームランのファンファーレがあり、強烈な印象があります。今とはチームカラーが全然違いますね。来年はもっともっとヒットを打ってホームランを量産して欲しいです。




・ちゃんと覚えているのは91年の優勝でそれから西宮に移り住んで甲子園で暗黒時代のカープを応援していた。負けが込むと野球から距離を置くようになった。カープがテレビでも取り上げられるようになり始めてクライマックスシリーズで半分が赤く染まった甲子園を見て感無量になった。黒田さんと新井さんが抱き合った試合はカープファンの友人とコストコのお寿司とピザを食べながら応援して生涯一楽しくて感動したものになった。日本一から一番遠ざかっているけど三連覇できたからまだ耐えれる。今年は下剋上目指して頑張って欲しい。




・自分がものごころついたときにカープが強かったか弱かったかで考え方が変わると思います。私の場合、私が小学校1年のときの1975年にカープが初優勝でした。広島県人で父親が熱狂的なカープファンだったので小学生の自分もカープファンになりました。ちょうどカープが強くなったときにたまたま時代が合ってファンになったのです。




・広島の子って小さい頃からカープファンなんだと思ってた
野球が詳しいわけじゃないけど皆がカープを応援するし最初に好きになった人もカープの選手
新学期用にカープ鉛筆買って
お金ないからそごうの上から試合見てた
サテライトナンバーワン聞いてカープ便り買ってカープの情報仕入れたり




・広島生まれでも、カープ初優勝の75年はまだ幼稚園だったから記憶がない。
野球に関心が芽生えたころは王選手が756号とか868号の全盛期で、広島にいながら読売の帽子をかぶっていた。
契機は79年、ヨシヒコさんの台頭。そして日本一。




・初優勝の翌年生まれ。広島出身の父に英才教育を受けて育ちました。
今は遠く離れている父と、試合のある日はだいたい電話で感想を言い合います。
育児中の私は平日夜は一球速報をちょこちょこ見る程度ですが、夕飯時に父から電話がかかってくる時は、決まってカープが逆転した時なので、電話を取る前からウキウキします。




・私も同じく初優勝少し前から。
初優勝からのカープはたしかにしばらく強かった。
けど、FAは始まるわ、ドラフトの逆指名は始まるわ、金満球団が強く強くなっていき、お金のない球団は中々勝てない、カープも暗黒時代に突入した。




・広島生まれです。子供の頃フットベースボールが盛んで私もやっていて、カープファンの父親から「正田選手のようになれ!」と言われていました。正田選手のように一生懸命練習しないと、と頑張った記憶があります。
ほぼ生まれた時からカープファンですが、広島に住んでいた時より、県外に住むようになってカープ熱が再燃しました。別チームの熱狂的なファンがいる地域に住んでいますが、たまにカープのアイテムを持った方を見かけると声をかけたくて仕方がありません。カープは心の故郷です。




・私は熱狂的な阪神ファンでしたが、慶彦がプロ野球の中で一番好きだったのでずっと気になる存在でした。
決定的に移行したのは、2,000年頃に江藤が巨人に、金本、シーツが阪神に移籍したことで、カープには他球団から欲しがられる人材が多い。という素晴らしさと、残った緒方、野村、前田をの格好良さに魅かれどんどん好きになりました。CSで赤く染まった甲子園も、連覇した甲子園も現地で観戦しましたが本当に素晴らしい記憶です。
ここ数年、苦しいシーズンが続いていますが変わらず応援しています。




・私は初優勝ちょい前です。
だから、カープが本当に弱くて「優勝」などと口にしたら笑われる頃から応援してきた皆さんの前ではファンと名乗るのがおこがましい気持ちもあったりして。
強かった古葉さん時代、阿南監督、コージ監督も優勝できた。
その後の低迷は長かったけど、CSに手が届きそうになってからカープの復活を感じました。




・91年優勝から五位力の時代を経ての三連覇を知る者です
阪神に選手がFAで行くのを見送るのが辛かった
千秋に「阪神の二軍」呼ばわりされたのは屈辱だった
まあ人的補償の赤松選手で夢(意外な一発とホームランボールキャッチ)を見られたのは楽しかった
最終的に新井さん帰ってきたし、優勝したし、面白いんじゃないかな








・5歳からカープファン。今48歳。
野球自体に興味があったのかわからないけど何故かテレビで観ました。日本シリーズで勝つところを観てたので当時のにわかファンですね。




・生まれた時からカープファン。初優勝の時は小学二年生。近くに衣笠と水沼が住んでて、日本シリーズに向かう前に水沼の家の前でがんばれーと握手してもらった。昔は7回過ぎたらただでみれたような。友人達とプールの帰りに観に行った記憶がある。広島の人って球場でみるより、親父たちは皆テレビで観戦しながらビール飲んでた。




・3歳まで広島の実家にいた茨城県人です。小1夏休みの35日間帰省、伯父・従兄弟と人生初の広島市民球場。カープうどんを食べながら中日に8対3で勝利。即、赤い帽子を買ってもらい、2学期が始まった巨人ファンしかいない茨城で嘲笑されていました。




・もとベイファンでしたが、タクローがベイからカープへ移籍したのを機にカープファンになりました。 今ではすっかりカープファンに定着し、心の中でいつもタクローに手招きしています。 自分の贔屓チームが日本一になるのを見たのは、1998年にベイが日本一になったのが最初で最後です。カープの日本一が早く見たいです。










【「かーぷぶーん」のYouTubeチャンネルを開設しました】




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