1991年のドラフト1位でカープに入団。カープ打線が“ビッグレッドマシン”の愛称で恐れられた時代、“右の代打の切り札”として勝負強い打撃で何度もチームを救った町田公二郎の話をお送りする。
町田が最も注目されたのは、5年目の1996年の事です。前年に一軍に定着した浅井と共に左右の代打の切り札として、成功率は4割以上。リーグ優勝は逃しましたが、最後まで優勝争いを演じた原動力になりました。セ・リーグ最多の代打本塁打18本を放っている町田ですが、この年を境に「代打の切り札」のイメージが強くなっていきました。
その打力を代打以外でも生かそうと、町田は本職の外野だけでなく、ファースト、サード、さらにはセカンドを守った事もあります。ヘラクレスと呼ばれた筋骨隆々の体型と甘いマスク、穏やかな性格で独身時代は女性ファンが多かったようです。しかし私から見ればやや大人し過ぎるように見えて、素質からすると早い段階からレギュラーになっていてもおかしくない選手でしたから。
https://www.hiroshima-athlete.com/articles/-/3459
・いつものようにナイター中継(巨人戦)を観ていた時、他球場の途中経過速報で広島からのアナウンサーが「ものすごいルーキーが現れました。」と中継したことが印象に残っています。その「ものすごいルーキー」が町田でした。 前日に初本塁打を放ち、次の日も1試合で2本目の本塁打を放った時の中継でした。 このまま広島の4番打者に定着し、山本浩二選手くらいの成績は残すと思っていましたが、ケガに泣かされましたね。
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・レギュラーとして活躍できなかったのは残念でしたが、その後は右の代打として広島、阪神で貴重な戦力となりましたね。
・町田もレギュラー取れそうで取りきれなかったよな。江藤が怪我した頃にサードやったりセカンド争いに入ろうといろいろ頑張ってたけど、打力考えたらどこかで出続けられたら結構いい成績残せそうな気がした。
・町田というとある年に好調だったのに、地方球場の巨人戦でレフトのポールの上に特大のホームラン性の打球を放って、結果ファール判定された試合があったけど、後からリプレイ見たらホームランみたいだったって声が多かったよな。あの後から調子落としてその後あまり奮わなかった。
現代みたいなリプレイ検証があの時代にあって、結果ホームラン判定だったら、また違った野球人生になってたのかもな。本当に「1球の恐さ」というものを思い知らされた。
・当時から長距離打者として注目されていましたが、粗い部分もあったので、球団としては「4年後に期待する」という事で指名は見送りました。
もちろん進学を決めていたし、プロスカウトの眼力は次元が違うと思ってますが、今の時代なら粗い高校生だからこそ指名にこぎつけるんじゃないかなと思い、時代の考え方を想いふけった次第です。
・1995年のドラゴンズ戦だったと思うが、
0対6と劣勢の試合、中継ぎ陣が踏ん張って
3対6まで追い上げ、町田の満塁ホームランで
逆転勝ちした試合が印象深い。
・1995年だったと思うが、スワローズ戦で
チャンス時の代打で明らかにボールらしき球を
ストライクと判定されて三振、怒りのあまり
バットを叩きつけていたのも忘れられない。
・一発のある魅力的な選手だった
ポール側に鋭い打球をスタンドに運んでいたのが印象深い
ファールかホームランかの判定ミスもあったが、当時は今のようなビデオ判定もなく覆らなかったことがあったような気がする。記憶違いでなければ?
その時、嫌な顔せずに打席に戻りスタンドイン?
監督が町田選手はあのコースをホームランに出来るように練習していると
・打つ方は波がすごく守備はイマイチ。
ただ「代打」って役割には恐ろしく貢献したと思う。浅井と左右の切り札だったのは終盤までもつれても逆転の可能性を感じるチームだったなって思う。夏の妖精岩本と町田は本当に読めないけどワクワクする打者だったな。
・町田が引退した後くらいに町田のお母さんとその知り合い?と3人で偶然少しだけ話す機会があり、会ったのはその日だけですがニコニコした方でした。町田のお母さんだと分かった後にコーチにすぐなれるのではみたいな話をした記憶があります。YouTubeチャンネルで町田や浅井は身体を温めるために相撲かレスリングみたいなウォームアップをしていたと前田智徳か誰かが言ってました。
・確か昔延長が15回まであって、なかなか決着がつかず、深夜に録画放送の予定だった試合中継が急遽生中継になり、放送が始まってすぐに町田がサヨナラホームラン打った事があったと記憶してます。
深夜0時近くのサヨナラ劇だったと思います。
・夢のアーチを空高く 町田のパワーでどこまでも
右の切り札で活躍されましたが、故障とレギュラー陣が強すぎて突き抜け切れなかった印象
レギュラー定着の世界線があれば間違いなくカープ史に名前が刻まれていたであろう選手
・将来の4番とか言われたけど
本人じゃなくて刺激を受けた江藤が4番に定着した記憶が
セカンドに挑戦したり頑張ったけど。
・町田さんもすごい身体をしてましたが、左の代打の切り札・浅井さんもユニフォーム越しながら負けずに良いガタイをしてましたよね
・町田とゴルフした後の風呂でその身体に見とれて チーム1でしょ?と言うと 金本には負けます あいつの筋トレ凄いんですよ との答え
プロのレベルは想像を超えてると驚いたものです
・右の町田、左の浅井の代打陣は強力だったが、やはりレギュラーで見たかった。
女性ファンが多く、いつも黄色い声援に包まれていたことを覚えている。
・広島、いつも外国人並の強打の代打陣がいる印象ある。阪神にひとりでもいらっしゃっていただけないでしょうか。
・たしかに町田、浅井は早くから体が出来上がってて即通用って感じだったけど、金本がメキメキ力をつけてきたのにはとてもワクワクした
・金本って(ドラフト)下位指名でも背番号10を与えたってことはカープはある程度期待してたのかなって思うけどな
・浅井町田の切り札2枚は頼もしかったな
・この二人の腕が凄かった印象が強烈にある
・町田は金本、緒方、前田がいなかったら確実にレギュラーになる能力があった。
町田だけでなく浅井もだが。
・個人的には浅井のほうが筋肉やばかった気がします(笑)
・町田さんと浅井さんは上腕二頭筋がゴリゴリでした!
・ヤクルトの岡林から打ったサヨナラホームラン
覚えてるなー
※町田と浅井を語る前田
・町田と浅井が裏でスタンバイしてるときに2人で相撲とって、テンションが上がると町田が浅井に噛みつく話ホント好き
当時はそんな事想像も出来なかった
※町田と浅井を語る前田
【「かーぷぶーん」のYouTubeチャンネルを開設しました】
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コメント
コメント一覧 (15)
と旧広島市民球場のお立ち台
インパクトなら松井隆昌
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やけん、自分は右の代打といえば2014年〜2015年の小窪の印象が強い。特に2015年は菊池や丸の大不振、エルドレッドの離脱等でとにかく貧打の中、代打小窪が打ってくれるのを願っていたなぁ‥
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小学生か中学生の頃のヒーローだわ、今も片岡のテレホンカード持ってるわ
記憶に残ってる選手なんだよな
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性格も面白くて好きだったな
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代打前田は出る度ヒット打ってんな~って感じだったけど、代打堂林は本当に点が欲しい場面でよく打ってくれた
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ああいうキャラは1人は必要
町田は4番も打ったりしてた時期もあったし実力はあったよ
中日戦のサヨナラホームラン生で見たのも懐かしいな
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左の代打は内田順三
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槇原完全試合の最後の打者だったかな
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3連覇の時は小窪、新井、西川、全盛期松山、バティスタの誰かが必ず控えで待機していたんだから試合終盤で少しでもチャンスが有れば点が取れてた
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