ぷよぷよ生みの親、売上高70億円の絶頂からわずか一年で「ぷよ」のように会社はじけ人生一転…「ぷよの縁」再びゲーム開発の世界に
1992年12月、広島市のゲーム会社「コンパイル」。初めて見る光景に、社長の仁井谷(にいたに)正充さん(73)=当時42歳=は自信を深めた。「1000年先も楽しめるゲームができた」。それこそが、シリーズ累計で1000万本を売り上げるパズルゲーム「ぷよぷよ」の改良版だった。
落ちてくるスライム「ぷよ」の同じ色を4個つなげて消していく。親しみやすいキャラクターと簡単なルール、消滅が連鎖した時の爽快感は、幅広い世代の心をつかんだ。
会社の売上高は97年3月期、過去最高の70億円に達する。そのわずか1年後だった。会社は「ぷよ」のようにはじけ、そして消えた。(科学部 林尭志)
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https://www.yomiuri.co.jp/national/20231209-OYT1T50198/
・ぷよぷよは相殺などのシステムが追加された2作目(通)でほぼ完成されてて、それ以来30年くらいずーっと同じルールで遊ばれ続けてるのがすごいことだと思う。 その技術も、過去のプレイヤー(ぷよらー)が切磋琢磨で高めて蓄積されたものが、次世代のぷよらーによってさらに高められていて、歴史は全然違うけど将棋や囲碁に通ずるものがあると思う。
→当時はすごかったんだよ。当時にピタッととハマった世代じゃないとなかなかそのすごさを知らないと思うけど。
ぷよぷよ通は対戦ゲームですからゲーセンでも対戦台で乱入ですからね。莫大な金を使ったんじゃないですか?それ以外もスト2やバーチャファイター、鉄拳などゲームセンターが一番熱かった時代の一角を確実にぷよぷよは担ってた。
広島に修学旅行行ったらもみじ饅頭そっちのけで「ぷよまん」買ってたし、コンパイルもあんな風になると誰も思ってなかったんじゃないですかね。
ホントにゲーセンが一番すごかった時代。今みたいにオンラインでとりあえず出して調整するんじゃなくてちゃんと遊べる完成品を出してた時代。
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